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創価学会者と非創価学会者の付き合い方など。。。


by tokitohito
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仏と神の進む道と愛

消滅を恐れ現代社会に適応してきた宗教は多いと思います。
宗祖や仏祖からすれば、
「おまえたち、俺が伝えたかったことはそんなことじゃねぇ~ぞ、コラ!」
と言いたくなる事も多々あると思います。

勝手に解釈ですが、
神教は布教活動に懸け、
仏教は人生の、、、命の究極が何か求める究極の悟りの為、修行と言う行動を大切にしてきた。

対照的な考えを持つ故に愛に対する考えも対照的であってもおかしくないかと。

またまた、個人的な考えですが、
神教では愛を庶民に広く与え、理解と布教に勤めた。
仏教では家族を持たない事により、弟子達に愛を与える。

外に向かっていく広がりを持つ神教に対して、
修行や心身の鍛錬、無を求める瞑想など結界を持ち究極を求め続ける仏教。
(勿論、慈悲と言う言葉もあり、一般人と接さないと言う事ではないですが、
教えを説く内容、体験修行の内容にも差があったのではないのでしょうか?)

ん?だいぶ話が、それてしまいました。
そうそう、愛について
自害を受け入れている宗教はあまり無いと思いますが。
信心深い、創価学会の人に一番大切な物は何?と聞いてみましょう。
命ではなく「ご本尊様」と結構の確立で帰ってきます。
自分の人生を選ばずして学会人である、2世、3世と世代が深いほどこの回答が多いかも。

「大切な物って将来一緒になる家族や、わが子だとしても?」
「火事の中で離れた場所に大切な人と、ご本尊様が有り、それぞれに火が回ったとしたら」

「わからない、考えたことが無い」と答えが返ってくるかも、

私はショックでした。
しかし世代の深い創価学会の方には比べられないのです。
究極がそこにあるので。。。。
私は、見方を変えれば、仕方ないのかもと思いました。
家族を持たなかった頃の仏教てきな考えに近い答えだし。

彼、彼女達は創価学会に関わることを天秤にかけられると、
あっさりとそれまでの愛を捨てる癖があり、
それに苦しむ無宗教者たちの理解はしようとしないのです。
by tokitohito | 2005-06-20 13:26 | 恋人として